今月のスタッフコラムは、心療部の臨床心理士 横澤希美が担当します。

2024.10.01

「なんでこんなにあのことにこだわっているんだろう」「どうして私はいろいろチャレンジする気になれないのかな」等々、普段生活している中で、自分自身についてふと疑問に思うこと、気になることってありませんか?あるいは、「なんだか生きづらい…」「最近うまくいかないこと多いな…」と漠然とした後ろ向きな気持ちに心がしめられることってありませんか?こういう時、皆さんならどうしますか?

自分なりに答えを見つけようとする方もいるでしょうが、目の前のことに追われて後回しになったり、あやふやなままにし続けたり、深く考えるのは止めようと意図的に棚上げしたり…そういう方も多いのではないかなと思います。私もそうです。だって、考えたところでわからないかもしれない、知りたくなかった自分を知っちゃうかもしれない、意欲的に考えてみようとは思えないなりの何かが隠れているようにも思うから。そして、実際、〈なぜ?〉〈どうして?〉と問いかけ、答えを見つけていく取り組みは、骨の折れる、時には痛みすら伴うものでもあります。

でも、私は心理士として働いています。日々担当する業務であるセラピー、よろず相談、心理検査は、どの場面でも、そこで出た話題がどのような内容でも〈どういったわけだと思う?〉〈そう受け取とること多いよね、なぜだろう?〉〈なぜそう感じるのかしら?〉〈自分としてはどうしたい?どう考えている?〉等々、基本的には自分自身に目を向ける方向に話を展開させていきます。なぜなら、この問いの答えを探そうとする取り組みは、必ず何かしらの気づきや変化をもたらしてくれるものと考えているからです。気づきたくなかった、知りたくなかったことに出会う場合も多々あります。でも、それぞれのwell-beingに近づくには避けて通れないものでもあると思ってもいます。だから、セラピーやよろず相談を始める時に、私はこの時間に伴う大変さや辛さ、しんどさを伝えるのではなく、次のような言葉をかけます。〈自分で自分のことを今よりもっとわかる、知っていくお手伝いをします〉〈○○(取り組むテーマや自分自身で持て余す事柄)について一緒に考えていくことはできると思います〉。

少し話は逸れますが、山登りをしたことがありますか?私は子どもの頃、遠足でよく山に登りました。頂上まで辿り着けるかな、遅れずついていかれるかな等々、心配はありつつ、普段とは違う状況にワクワク、ドキドキ、お友達と楽しくおしゃべりしながら歩き始めます。しばらくすると足元は悪くなり、傾斜も急になり、足は痛いしお腹もすいてきたのに頂上はまだ見えない、そんな状況に陥ります。でも、「まだつかないのかな」「この道歩きづらくない?」「足痛くなってきた」「私もー」「大丈夫?絆創膏使う?」等々、歩きづらさも足の痛みも全く同じではないだろうけれど、共有したり、気遣い合ったりすることができる人がいたことで、無事頂上に辿り着くことが出来ました。さらに、翌年、また別の山に登る時、まぁ、登り切れるでしょうと遠足に臨めることにつながっていたように思います。

自分に向き合う作業も山登りと似ていると思います。登ってきた道を「こうだったよね」「私はこんな風に感じていたよ」と振り返ったり、ここから先の道を「こんな道だったらおもしろいよね」「○○みたいになっていたらいいなー」と想像できたりする相手がいることは、その山登りをより印象に残る、あるいはまた別の山を登ろうとする気持ちを後押しする体験にする要素になると思います。同じように、全く同じように体験したり感じたりするわけではないだろうけれど、これまでのことを振り返る中で、見つけたことを伝えあったり、わかち合ったりできる相手がいることは、目を向けられずにいたこと、触れられずにきたことにも向き合いながら、自己理解を一歩先に進めることを促すのではないかと思っています。なので、〈自分で自分のことを今よりもっとわかる、知っていくお手伝いをします〉〈○○(取り組むテーマや自分自身で持て余す事柄)について一緒に考えていくことはできると思います〉と伝えています。そして、実際にそういう存在になれるよう、周りから手を貸していただいたり、あれはどういうことだったのかな、こういうことだったのかもしれないなと考え直してみたりするだけでなく、少しずつでも自分の幅を広げることも意識して日々過ごしています。そして、専門性も活かしながら、リンクスメンタルクリニックに関わりのある皆さん1人1人が目指すwell-beingに向けて、一緒に歩いていかれたら、と思っています。
今後もどうぞよろしくお願いいたします。